コーギーちゃんねる

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カテゴリ: 大相撲

1 :渋柿の木 ★:2022/07/26(火) 11:51:54 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/i.imgur.com/xLF9Lxj.jpg コロナ禍で全627人のうち約3割にあたる174人が休場となった7月場所を制したのは、モンゴル出身の逸ノ城だった。
2014年1月場所で幕下15枚目格付け出しデビューし、同年11月場所では史上最速の5場所で新三役(関脇)に昇進。モンゴルの怪物として注目された。
当時は白鵬、鶴竜、日馬富士という“モンゴル出身3横綱”が君臨した時代だったが、逸ノ城は「グループの一員」という印象ではなかったという。

若手親方はこう振り返る。
「逸ノ城のデビュー当時、モンゴル力士グループは朝青龍派と旭鷲山派に分かれていた。2人ともすでに引退していたが、
その人脈として朝青龍派の代表が日馬富士、旭鷲山派の代表は白鵬といった色合いがあった。
それぞれのグループで一緒にモンゴル料理を食べに行くなどプライベートでも行動を共にしていたが、逸ノ城はどちらのグループにも属そうとしなかった。

逸ノ城は遊牧民出身で、モンゴルの首都・ウランバードル出身の他のモンゴル勢とは距離があったのでしょう。
デビュー当時は仕度部屋でも誰かとつるむ様子はなかった。関脇でありながら決まった場所には座らない。
玉鷲、荒鷲、旭秀鵬といった中間派のモンゴル力士グループに声をかけられることもなく、力士の隙間になんとか場所を確保している状態で、浮いている印象がありました」

その後にモンゴル出身力士たちの人間関係に決定的な亀裂を走らせたのが2017年10月に秋巡業先の鳥取で起きた「日馬富士暴行事件」だが、
連日ニュースを騒がせた事件に、逸ノ城は巻き込まれずに済んだ。相撲担当記者が解説する。
「当時の白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱に、鳥取城北高校OBである照ノ富士、貴ノ岩、石浦の関取衆3人を含む計13人が参加した食事会で、二次会の席上で日馬富士が貴ノ岩へ暴行を加え、
角界を揺るがす大事件に発展しました。逸ノ城も鳥取城北高校出身ですが、運よく秋巡業を腰痛により途中休場していたこともあって参加していなかった。
もともと、照ノ富士と逸ノ城は同じ飛行機で来日して鳥取城北高校に入学していますが、照ノ富士が部屋の移籍によって同じ伊勢ヶ濱部屋の先輩となった日馬富士と交遊を深めたのに対し、
逸ノ城は距離を置いたままだったのがよかった面もあるでしょう」

>>2以降へ続く

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1 :渋柿の木 ★:2022/07/24(日) 17:40:37 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/i.imgur.com/VuvQPNx.jpg ◆大相撲 ▽名古屋場所千秋楽(24日・ドルフィンズアリーナ)

西前頭2枚目・逸ノ城(湊)が悲願の初優勝を飾った。平幕・宇良を寄り切りで下し、12勝目。
V争いで先頭を並走していた横綱・照ノ富士(伊勢ケ浜)が結びで、大関・貴景勝(常盤山)に敗れたため、優勝が決まった。
立ち合いで宇良を組み止めると、左上手。右ものぞき盤石。ジックリと攻め、最後は力強く寄り切って12勝目を挙げた。

上位総当たりの今場所は1横綱2大関撃破を含む役力士6連破で初日から無傷6連勝。
7日目から連敗を喫したが、9日目以降は5連勝と好調を維持。
14日目は平幕・明生に敗れ、照ノ富士と3敗で並び、千秋楽に臨んでいた。

賜杯を争った照ノ富士とは、2010年3月に同じ飛行機で来日した仲。
盟友に競り勝ち、新型コロナウイルスの影響で戦後最多となる関取23人が休場した大荒れの名古屋場所を制した。

◇逸ノ城 駿(いちのじょう・たかし)本名・三浦駿(帰化前はアルタンホヤグ・イチンノロブ)。
1993年4月7日、モンゴル・アルハンガイ県生まれ。29歳。
13歳でモンゴル相撲を始め、2010年、鳥取城北高に留学。
5個の個人タイトルを獲得し、卒業後は同校相撲部でコーチを務め、13年全日本実業団制覇。
14年初場所で幕下15枚目格付け出しで初土俵、夏に新十両、秋に新入幕。
192センチ、211キロ。得意は右四つ・寄り。家族は両親と妹、弟。

スポーツ報知
https://news.yahoo.co.jp/articles/ce3b42128c625e03b3d2791a3a1259401958cae8

星取表
https://hochi.news/feature/sumo/

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1 :ニーニーφ ★:2022/07/17(日) 18:33:35.69 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/i.imgur.com/CXeMSfw.png 名古屋場所で前代未聞の再開劇 「まわし待った」通じず 照ノ富士が若元春制しトップ並ぶ…2敗7人の大混戦

◆大相撲 ▽名古屋場所8日目(17日・ドルフィンズアリーナ)

 結びの横綱・照ノ富士(伊勢ケ浜)と、東前頭4枚目・若元春(荒汐)の一番で珍事があった。長い取組となった途中で、若元春のまわしが緩んでいたため、立行司・式守伊之助がまわし待ったをかけた。
だが動き始めていた若元春が気がつかず、力を緩めた照ノ富士を一方的に寄り切った。

 さすがの照ノ富士は納得のいかない表情。ただ物言いがつき、協議の結果、佐渡ケ嶽審判長(元関脇・琴ノ若)が「行司がまわし待ったをしたときに動いてしまいましたので、まわし待ったの状態から取り直しといたします」と説明し、まわし待ったの状態から取り直しとなった。

 だが、動いていた状態だっただけに、寸前の状況を再現するのが難しく、3分半以上も体勢の試行錯誤をしての再開となった。最後は照ノ富士が下手投げで若元春を下し、2敗を守った。

 単独トップだった西前頭2枚目・逸ノ城(湊)は、東同2枚目・琴ノ若(佐渡ケ嶽)に敗れ、1敗が消えた。

 トップは2敗で照ノ富士、琴ノ若、逸ノ城ら7人が並ぶ大混戦となった。

報知新聞社

https://news.yahoo.co.jp/articles/fcb242eac68fdb15073b50bc56ac39665fc31fa9

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1 :フォーエバー ★:2022/01/18(火) 23:54:17.36 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/i.imgur.com/QOAt8G4.png  日本の国技として根強い人気をほこっている「相撲」。数多く力士がいる中で最高位にあたる「横綱」は、相撲の強さだけでなく私生活などでの品格も求められます。相撲界ではこれまで、73人の横綱が誕生して大相撲を盛り上げてきました。そこで、ねとらぼ調査隊では、2022年1月7日〜13日まで「平成以降の横綱で最強だと思う力士は誰?」というアンケートを実施していました。

【画像:ランキング14位〜1位を見る】

 今回のアンケートでは、3552票の投票をいただきました。たくさんのご投票、ありがとうございます! それでは、さっそく結果を見ていきましょう。

●第3位:白鵬 翔
 第3位は541票を集めた「白鵬」さんです。モンゴル・ウランバートル出身で、第69代の横綱として大活躍をしました。平成後期に勝ち星を上げ続け、生涯戦歴は1187勝247敗となりました。2021年12月に「幕内優勝の最多回数(45回)」「横綱在位の最長期間(84場所)」など、5つの記録がギネス世界記録に認定されています。コメント欄では「歴代一位の記録を数々持っている白鵬以外あり得ない」との声が挙がっています。

●第2位:千代の富士 貢
 第2位は985票を集めた「千代の富士」さんです。昭和から平成にかけて活躍した、「ウルフ」の愛称で国民的人気を獲得した大横綱です。第58代横綱として幕内優勝回数が31回、連勝記録が53回となっています。筋肉質な体格で抜群の運動神経をしていて、数々の名勝負を生み出しました。横綱在位期間は1981年9月から1991年5月で、角界初となる国民栄誉賞を受賞しました。引退会見は大々的に報じられ、「体力の限界……気力もなくなり、引退することになりました」という言葉は感動を呼びました。コメント欄では「大きな体の力士を力でねじ伏せる。強くてかっこいいが千代の富士の魅力です」との声が挙がっています。

●第1位:貴乃花 光司
 第1位は1416票を集めた「貴乃花」さんです。父親は初代貴ノ花さん、兄も3代目若乃花さんという相撲一家に生まれ、兄弟揃って横綱となり「若貴フィーバー」を巻き起こしました。第65代横綱として、1995年1月から2003年1月まで活躍しました。生涯戦歴は794勝262敗で、千代の富士さんが引退した後の大相撲を大いに盛り上げました。2001年5月場所では、大怪我を負いながら武蔵丸さんと優勝決定戦で戦い見事に勝利。大相撲史上に残る名勝負として、いまも語り継がれています。コメント欄では「怪我をしなければ貴乃花は神がかった記録を打ち立てただろう。何といっても横綱らしい人格が目を引く」との声が挙がっています。

1/18(火) 18:05配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/27e387b5111f1a3c76654d39feb807616b7b6b8c
★1:2022/01/18(火) 19:51:36.07 前スレ
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1642503096/
https://i.imgur.com/qwFVJH9.jpg

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1 :フォーエバー ★:2022/01/18(火) 19:51:36.07 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/i.imgur.com/PAunJdq.png  日本の国技として根強い人気をほこっている「相撲」。数多く力士がいる中で最高位にあたる「横綱」は、相撲の強さだけでなく私生活などでの品格も求められます。相撲界ではこれまで、73人の横綱が誕生して大相撲を盛り上げてきました。そこで、ねとらぼ調査隊では、2022年1月7日〜13日まで「平成以降の横綱で最強だと思う力士は誰?」というアンケートを実施していました。

【画像:ランキング14位〜1位を見る】

 今回のアンケートでは、3552票の投票をいただきました。たくさんのご投票、ありがとうございます! それでは、さっそく結果を見ていきましょう。

●第3位:白鵬 翔
 第3位は541票を集めた「白鵬」さんです。モンゴル・ウランバートル出身で、第69代の横綱として大活躍をしました。平成後期に勝ち星を上げ続け、生涯戦歴は1187勝247敗となりました。2021年12月に「幕内優勝の最多回数(45回)」「横綱在位の最長期間(84場所)」など、5つの記録がギネス世界記録に認定されています。コメント欄では「歴代一位の記録を数々持っている白鵬以外あり得ない」との声が挙がっています。

●第2位:千代の富士 貢
 第2位は985票を集めた「千代の富士」さんです。昭和から平成にかけて活躍した、「ウルフ」の愛称で国民的人気を獲得した大横綱です。第58代横綱として幕内優勝回数が31回、連勝記録が53回となっています。筋肉質な体格で抜群の運動神経をしていて、数々の名勝負を生み出しました。横綱在位期間は1981年9月から1991年5月で、角界初となる国民栄誉賞を受賞しました。引退会見は大々的に報じられ、「体力の限界……気力もなくなり、引退することになりました」という言葉は感動を呼びました。コメント欄では「大きな体の力士を力でねじ伏せる。強くてかっこいいが千代の富士の魅力です」との声が挙がっています。

●第1位:貴乃花 光司
 第1位は1416票を集めた「貴乃花」さんです。父親は初代貴ノ花さん、兄も3代目若乃花さんという相撲一家に生まれ、兄弟揃って横綱となり「若貴フィーバー」を巻き起こしました。第65代横綱として、1995年1月から2003年1月まで活躍しました。生涯戦歴は794勝262敗で、千代の富士さんが引退した後の大相撲を大いに盛り上げました。2001年5月場所では、大怪我を負いながら武蔵丸さんと優勝決定戦で戦い見事に勝利。大相撲史上に残る名勝負として、いまも語り継がれています。コメント欄では「怪我をしなければ貴乃花は神がかった記録を打ち立てただろう。何といっても横綱らしい人格が目を引く」との声が挙がっています。

1/18(火) 18:05配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/27e387b5111f1a3c76654d39feb807616b7b6b8c
https://i.imgur.com/qwFVJH9.jpg

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1 :Egg ★:2022/01/15(土) 22:12:45.98 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/i.imgur.com/ghyrmN1.jpg 大事故さえ懸念 

https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20220115-00816279-shincho-000-1-view.jpg?pri=l&w=640&h=587&exp=10800

大相撲初場所2日目の宇良(うら)対正代(しょうだい)戦。宇良がバックドロップのような体勢で後頭部から土俵下に落ちた瞬間、心臓が凍りそうになった。土俵に両足を上げた恰好で倒れた宇良の脚が少しの間動かず、その間は大事故さえ懸念した。やがて宇良の身体が動きだしたが、様子はおかしかった。勝った正代が心配そうに見つめる中、宇良は礼儀を重んじる力士の責任感からだろう、何とか起き上がろうとした。【スポーツライター/小林信也】

 しかし、近くにいた勝負審判も駆け寄った呼出しも、脳震盪を起こした可能性の高い宇良を強く制することはなかった。こんな時は、「動かさない」が鉄則ではないか。結局、宇良はよじ登るようにして土俵に戻る。歩く姿はふらついて、誰の目にも意識が通常でないことが明らかだった。

 そもそも、宇良は落ちたその場所から直接土俵によじ登ったのだが、そのような無粋な光景をいままで見た記憶がない。力士は必ず上り段から土俵に戻るのが習わしではないか。運悪く、落ちた場所が上り段の少ない正面側だったとはいえ、咄嗟によじ登ったこと自体、宇良の思考が通常ではなかった証ではないだろうか。

 東方に戻り、お辞儀をしようとしてふらついた宇良を呼び出しが支え、ようやく救護する流れになった。こうした不測の事態が起こったときの救急対応について、安全教育を徹底し、対応の方法を共有してほしいと強く感じた。礼儀は大事だが、ケガが起きた時に優先すべきは「力士の安全」であるのは言うまでもないだろう。

「土俵の周りがすごく狭い」

 土俵際でもつれることは、通常の相撲で大いにありえることだ。それなのになぜ、宇良はこのように危険な体勢で土俵下に落ちたのか。かつて、アマチュア相撲の指導者から聞いた言葉が頭に浮かんだ。

「大相撲の土俵は狭いんですよ」

 えっ、と思った。土俵の広さは同じではないのか。訊き返すと彼は改めてこう言った。

「いえもちろん、丸い土俵の大きさは同じなのですが、土俵の周りがすごく狭いのです」

 確かに、言われてみれば、大学相撲やわんぱく相撲など、アマチュアの大会の舞台となる土俵の周りはもっと広いような気がする。

「大相撲は興行ですから、見栄えがいいよう高く狭くしてあると聞いています。観客にできるだけ近い場所で見てもらう目的もあるのでしょう。狭い方が観客もたくさん入れますしね」

 プロもアマも土俵自体は同じ直径4メートル55センチ(15尺)の円だが、その周りを囲む四角い土の部分、いわば舞台のスペースが大相撲では1辺6メートル70センチと規定されている。数字を差し引くと、最も狭いところでも土俵際から1メートル以上余裕のある計算だが、6メートル70センチは、台形状に土が盛られた底辺の長さ。だから、台形の上辺、つまり「土俵上」のスペースはかなり狭くなる。目視で言えば、徳俵のある四辺の中央部分は、徳俵から土俵際の俵まで一足分の長さもない。

 宇良が落ちたのは徳俵のすぐ右側だから、後ろ向きに倒れたらせいぜい腰のあたりまでが土俵上で、背中は土に着くことなく後方に投げ出される恰好になる。真っ逆さまに後頭部から転落するわけだ。
 
ディリー新潮
https://news.yahoo.co.jp/articles/d60d9d3abdc86d64f68cb65c4eaba75be05515bd

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1 :愛の戦士 ★:2021/11/28(日) 17:28:47.63 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/i.imgur.com/Y3Vgny8.jpg 日刊スポーツ 11/28(日) 17:26

<大相撲九州場所>◇千秋楽◇28日◇福岡国際センター
14日目に2場所連続6度目の優勝を決めた横綱照ノ富士(29=伊勢ケ浜)が、初の全勝優勝を決めた。
結びで大関貴景勝を下して、1年納めの場所を締めくくった。全勝優勝は今年7月の名古屋場所の白鵬(現間垣親方)以来で、優勝制度ができた1909(明治42)年以降、史上40人目。平成以降では武蔵丸、貴ノ花、朝青龍、白鵬、日馬富士、豪栄道に続いて7人目となった(しこ名は当時)。
照ノ富士は14日目に1敗で追走する平幕の阿炎との直接対決を制し、初日から無傷の14連勝として優勝を決めた。全勝優勝が懸かる千秋楽に向けて、前日のリモート取材では「そう簡単にできることではないが、自分も1回もないこと。できるうちにチャンスがあればつかんでいきたい」と話しており、宣言通りチャンスをつかみ取った。
年間4度目の優勝は、5度制した14年の白鵬以来。年6場所制が定着した1958年以降、新横綱場所からの連覇は62年初場所の大鵬以来59年ぶり2人目だった。

最終更新: 11/28(日) 17:26
https://news.yahoo.co.jp/articles/de1614e72a6483d0b5ba8c50f7ef200f8e05775c
土俵入りする照ノ富士
https://i.imgur.com/q5Jutgv.jpg

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1 :愛の戦士 ★:2021/11/27(土) 17:59:54.11 ID:CAP_USER9

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1 :愛の戦士 ★:2021/11/22(月) 17:59:51.82 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/i.imgur.com/lbDU1Lp.png スレが埋まるor落ちるまで日々の結果はこのスレでお願いします。

【九日目結果】
結果は画像とリンク先で

スポーツナビ
https://sports.yahoo.co.jp/m/sumo/torikumi/stats/?bashoId=202111&day=9

https://i.imgur.com/eZDyIYX.jpg
https://i.imgur.com/jK4lTg3.jpg

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1 :愛の戦士 ★:2021/10/01(金) 15:41:47.63 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/i.imgur.com/yjaSeRA.jpg NHK 2021年10月1日 15時25分

30日に現役を引退した元横綱 白鵬の間垣親方の現役引退の記者会見が、午後3時から東京 両国の国技館で開かれています。白鵬が引退してから公の場で話すのは、この会見が初めてです。
引退を決断した理由や今後、親方としてどのように後進を指導していくのかなど会見での発言を随時更新してお伝えします。

会見 詳細
【冒頭】
師匠の宮城野親方が、引退した白鵬について「後進の指導にあたってしっかりと協会のために頑張ってくれると思います。多くの力士を育て上げて皆様方に貢献出来るように頑張っていく所存ですので、これからもよろしくお願いします」と話しました。

白鵬は会見の冒頭であいさつし「本日は足元が悪い中、お集まりいただき本当にありがとうございます。白鵬改め、年寄『間垣』を襲名し、後進の指導にあたります。20年の現役中は大変お世話になりました。活躍の場を与えてくれた日本相撲協会に感謝申し上げます」と述べました。

【名古屋場所10日目に決断】
白鵬は引退を決断した時期について
「進退をかけた名古屋場所でひざが言うこときかず、ふた桁勝利が目標だった。10勝をあげた10日目で親方などに引退することを伝えた」
と話しました。

【「迷いはなかった」】
引退の決断に迷いはなかったかという質問に対して白鵬は「迷いはなかったと思います。やっぱりひざのことを思えばなかったと思います」と話しました。
そのうえで家族に引退を伝えたときの状況については「子どもたちから頑張って欲しいという声はありました。母に電話したときは『よく頑張った。身体が大事ですから』ということでした」と述べました。

【本当に相撲が大好き】
白鵬はおよそ20年の現役生活を振り返って「早いような感じがします。本当に相撲が大好きで幸せ者だなと思います」と述べました。
相撲界への第一歩について「師匠が私に声かけてくれたおかげで今があると思うので、この場を借りて師匠に感謝します」と述べました。
そして、唇をかみしめながら「感謝の気持ちと今後、師匠のもとで親方として一から勉強します」と述べました。

【親方にほめてもらいたい一心で稽古】
白鵬は師匠の宮城野親方について「師匠は優しくて本当に感謝してますし、親方にほめてもらいたい一心で稽古に励んでいました。その思いが関取、大関、横綱に昇進することにつながりました」と述べました。
また、準備運動に時間をかける稽古については「体が細かったので大きくしないといけないという思いと師匠の考えがありました」と話しました。

【一つ一つの積み重ねの結果】
白鵬は現役中に掲げていた目標について「大相撲に入るときは横綱になりたいという夢があったが、45回優勝したいという思いはありませんでした。一つ一つの積み重ねがこの結果につながったと思います。師匠の稽古、その基本の大切さを守ってきたことが、勝利につながったのかなと思います」と話しました。
横綱としての地位の重みについては「大鵬親方に『横綱の宿命の中で頑張らないといけない、負けたら引退』とことばをかけられました。昭和の大横綱のことばは重かったです」と話しました。

【6場所休場し大変思うものあった】
白鵬は大鵬親方から「負けたら引退」と言葉をかけられたことについて「6場所休場したときには、大変思うものがありました」と述べました。

【白鵬とは】
白鵬は進退をかける意向を示して出場した名古屋場所で、史上最多を更新する45回目の優勝を全勝で果たしながらも引退を決断しました。

白鵬は15歳で宮城野部屋に入門し、平成19年夏場所後に第69代横綱に昇進しました。

通算の勝ち星は1187勝、優勝回数45回、横綱在位はおよそ14年にわたる84場所で、いずれも史上最多を記録し、現役生活およそ20年で大相撲の記録を次々と塗り替えました。

日本相撲協会は30日の理事会で、横綱 白鵬の引退と年寄「間垣」の襲名を承認しています。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211001/k10013258161000.html
https://i.imgur.com/fmwsOTV.jpg

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1 :愛の戦士 ★:2021/10/03(日) 20:59:05.48 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/i.imgur.com/kfmhuKs.jpg NHK 10月03日 18時32分

大相撲の元横綱・旭富士の伊勢ヶ濱親方が還暦を祝う土俵入りを行い、現役時代と同じ「不知火型」の力強い土俵入りを披露しました。

元横綱・旭富士の伊勢ヶ濱親方は青森県出身の61歳。

昭和56年初場所で初土俵を踏み、平成2年名古屋場所後には第63代横綱として平成初の昇進を果たしました。

引退後は部屋を設けて第70代横綱の日馬富士や、令和初となる新横綱として、先月の秋場所で優勝を果たした照ノ富士など、数々の関取を育てました。

去年7月に60歳となり、現在は日本相撲協会の理事として審判部長を務めています。

伊勢ヶ濱親方は、東京・両国の国技館で還暦を祝う土俵入りをしました。

太刀持ちに元横綱・日馬富士、露払いに元関脇・安美錦の安治川親方の弟子を従え、赤い綱を締めて土俵に上がり、現役時代と同じ「不知火型」を披露しました。

伊勢ヶ濱親方は、両手を左右に大きく広げた「不知火型」独特のせり上がりなどを力強く見せていました。

新型コロナウイルスの感染拡大で去年5月の予定から延期後、ようやく行われ、伊勢ヶ濱親方は「還暦土俵入りは1つの目標だったのでうれしい。新たなスタートを切る思いでした。最後まで親方として関取を1人でも2人でも生んで相撲協会のために頑張りたい」と話していました。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/aomori/20211003/6080013888.html
https://i.imgur.com/MBAwxYM.jpg

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1 :Egg ★:2021/09/30(木) 01:23:22.52 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/i.imgur.com/sRmNqVR.jpg  歴代最長の14年以上にわたって横綱に君臨した白鵬の優勝回数は「平成の大横綱」と呼ばれた貴乃花(22度)の2倍余。野球賭博や八百長といった不祥事にまみれた角界を支え、東日本大震災の被災地支援に尽力するなど土俵外の行動力でも評価される。だが近年、横綱の振る舞いの一部は、批判の的になってきた。

【写真】散り際にも感じた「白鵬らしさ」 デーモン閣下が語る大横綱

 勝負の結果に不満を示す態度、言葉。千秋楽の優勝インタビューで観客に促した万歳三唱や三本締め。同郷の朝青龍と日馬富士が暴力で土俵を追われたのに対し、白鵬への評価はいつも、大相撲の伝統に照らし、許せるか、許せないかの間で揺れたように思う。

 懲戒処分(譴責(けんせき))に至った三本締め問題に、白鵬は「会場を盛り上げようと思った」と言った。休場に対する横綱審議委員会の指摘には「けがから帰ってきた時にしっかり結果を出している」と言い返した。

 たしかに、休場が増えた2018年以降、15日間出場した7場所に限れば、うち5場所で優勝した。万歳三唱などのパフォーマンスも会場を沸かせた。

 ただ、荒々しい取り口で勝利や記録を追求する姿勢、パフォーマンスじみた言動は、角界やファンとの間に溝を作った。外国出身横綱の草分けである曙や武蔵丸の時代、それ以上の成績を誇る日本出身力士がいた。白鵬には、いなかった。「国技」を自認する大相撲の記録がモンゴル出身力士に次々と塗り替えられていくことに、一部のファンには焦りもあったのではないか。

 「白鵬は横綱の品格を理解できなかった」と、何人もの角界関係者から聞いた。日本的な横綱像を求められる中、異国で認められるよすがとしたのが勝利や自分なりの横綱像。批判を浴びてもものともせず、突き抜けた強さだった。

朝日新聞 9/28(火) 6:00
https://news.yahoo.co.jp/articles/5639d9a6db3981fdb04e1222b44f979e4ac98435

写真
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210928-00000004-asahi-000-2-view.jpg

1 Egg ★ 2021/09/28(火) 18:50:56.15
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1632822656/

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